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古典派とは

日本において、近代刑事法思想がその影響力を強めていく中で、古典派の立場からは批判が生まれてきます。日本では、ドイツ法において近代派刑法学の思想が取り入れられましたが、ドイツでは、古典派刑法学思想が最初に誕生し、そのあと古典派を批判する形で近代派刑法学思想が生まれていったのです。

古典派の思想には、大きく分けて前期古典派と後期古典派が存在します。前期古典派の学派というのは、フォイエルバッハが展開して言った思想です。

フォイエルバッハは、国家の任務を社会契約説に基づいて市民の権利の保護に置き、宗教犯罪や風俗犯の犯罪からの削除による刑法の世俗化、個人の権利を侵害する行為のみを犯罪とするべきであると考える権利侵害説、犯罪を行為者の意思ではなく、外部的行為と権利侵害で把握するべきものであるとして行為主義、客観主義の立場を取りました。

また、功利主義的な立場からカントが唱えた絶対的応報刑論を否定して、刑法というのは市民一般の犯罪を防止するためのものであるとする目的刑論を主張します。フォイエルバッハは、合理精神を持っている人間は犯罪から得らえる利益と犯罪を起こすことで加えられる刑罰という不利益を天秤にかけて、不利益のほうが大きいと判断すれば犯罪を思いとどまる存在であるとしました。そのうえで、刑法は刑罰という不利益をあらかじめ告知、警告することで人々に心理的な圧力を加えることによって犯罪を予防することがその目的であると考えました。この考え方は「心理強制説」と呼ばれています。

後期古典派はドイツ帝国が成立した1871年、そいつ帝国刑法典が制定された後から確立されていった刑事法思想です。

この刑事法思想のひとつの中核には、ビンディングの唱えた規範違反説の考え方があります。国家には国民に対して服従を求める権利があり、その相対とも呼べるべき存在が規範であると考え、その規範を侵害あるいは違反するような行為が犯罪であるとしました。前期古典派のフォイエルバッハが、個人の権利を侵害する行為が犯罪であると考えたのに対し、国家の権利を侵害したことが犯罪であると考えたこの思想はこの点において、前期古典派のま逆の考え方であるといえます。

そしてもうひとつの中核的存在が、意思自由論に基づく、道義的責任論と応報刑論になります。人間には意思の自由があり、自由意思に基づいて行った犯罪行為には、当然に道義的な責任が生まれるので、刑罰というのはその責任に対する応報、非難であると考えました。逆に行為したことに道義的責任がないのであれば、刑罰を科すことはできないとする責任主義の原則と刑罰は責任に相応するものでなければならないという責任と刑罰の均衡の原則が導かれたのです。

日本で古典派の立場の中心となっていたのは、大場茂馬、小野清一郎、瀧川幸辰などの人達です。しかし、小野と滝川ではかなり考え方に違いがあり、小野は後期古典派、瀧川は前期古典派に近い考え方でした。