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近代派とは

日本の刑事法学は、当初フランスからの影響を強く受けていましたが、その後急速にドイツ法に近づいて行きます。そうした中で、社会防衛、刑事政策の重視、主観主義などを強調する見解が有力になります。これが近代派的見解と呼ばれるものになるのです。明治20年代から主張されており、積極的に展開したのはおよそ10年後の明治30年代からといわれています。

ドイツの近代派思想が取り入れられたのは、当時、これがドイツの「新思潮」として注目されるとともに、日本においても資本主義の発展に伴うプロレタリア、つまり自らの労働力をブルジョアに売ることで賃金を得、それで生計を建てる者の犯罪や労働・公安事件が増大したことから、これらに対応していくのに最も効果的なのが近代派思想であると考えられたためです。

ドイツ近代派というのはリストの考え方から生まれたひとつの学派になります。リストはイェーリングの「法における目的」を重視する社会功利主義的な目的思想に従って、刑罰というのは目的をもった合理的なものでなければならないと主張しました。ここでの刑罰を加える目的というのが、法的の保護されている人々の生活利益を守ることであり、犯罪というのはその利益を侵害する行為であるとして、刑罰を社会防衛と法益保護の働きがあるものと位置づけたのです。

リストは犯罪の社会的原因を強調し「裁量の刑事政策というのは、社会政策である」と主張しました。そのうえで刑罰による個人的犯罪原因への働きかけをすることは可能であるとし、刑罰を犯罪者の再犯防止のために用いるものであるとしています。犯罪については行為ではなく行為者を重視するような考え方で、「罰せられるべきは行為ではなく行為者」であるとしています。そして刑罰は行為者の反社会的性格、社会的危険性に対応すべきものであるとしました。

リストは、犯罪者が既に改善不可能な状態であるのならば排除刑、改善可能な状態であるならば改善刑、改善不要な機会犯人や偶発犯人については威嚇刑を用いることが有効であると主張しました。

近代派刑事法思想の背後にあるのは、資本主義社会が発展していくに従って、生まれる社会矛盾の増大があります。国家の刑事政策・社会防衛の主体として、行為者人格への介入を認め、国家の役割や機能の拡大・積極化が必要であると考えました。この主張が内包している危険性が、国家の役割が大きくなることで生まれる国民個人個人の自由に対する侵害になります。社会防衛という思想が、国家を刑法で保護するといった思想につながる危険があり、決して欠点がなかったわけではないのです。

日本において近代刑事法思想を確立させたのは牧野英一であるとされています。