サンプル画像

刑法と国家観

近代国家では、刑罰権は国家に集中しており、日本においてもそれは同様で刑罰権国家が独占しています。つまり、刑法のあり方は、刑罰権を行使する国家のあり方によって規定されているのです。

国家は、人の歩んできた歴史の中で生み出された生成物であるといえ、1つの権力でもあります。権力の本質は「言うことをきかせる」というところにあります。つまり人に対して言うことを利かせることができなければ権力ではないし、そういった力を持っていなければ国家ではないということです。言うことを聞かない者に対して、言うことを利かせるための最終手段が物理的強制力、すなわち暴力になります。このように、物理的強制力が国家を構成している本質的要素になるのです。対象者が国外のものであれば、この物理的強制力は軍事力を指し、対象者が国内であれば、警察力とその中核にある刑罰権力となります。

国家は、言うことをきかせるための最終手段として、物理的暴力を持っていますが、常にこれを行使するわけではありません。常に行使するような国家では非効率的で、支配も不安定なものだからです。そのため、国家には支配を正当なものとし効率的で安定的なもとのするためには、支配を正当化する論理を構築しその論理を被支配者たちに納得させ、自発的な服従が得られなければならないのです。

マックスウェーバーは、伝統的支配とカリスマ的支配、合法的支配の3つが支配のセ等価の論理として存在すると主張していました。現在の先進諸国で一般的におりいれられているのが、合法的支配の論理になります。合法的支配というのは、個人の自由と尊厳を保護するために人民の意思に基づいて支配するという方法になります。

このような権力正当化の論理は、権力行使の基本原理として権力と被支配者との間で共有され共通の規範となります。共有されている規範である以上、国家も規範となっている原理に反することができなくなります。つまり規範やその規範のもととなっている原理に制約、拘束されるということです。刑罰権行使も権力行使の一部ですので、その原理に制約、拘束されることになるのです。