サンプル画像

行為主義とは

前提条件ですが、刑法上に定められている刑罰は人を対象としています。死者や動物などは対象とならず、あくまで生きている人だけです。そして、生きている人を処罰する場合でも、一定の肉体的・精神的特性つまり、思想、信条、信仰などを有することを根拠に処罰することができず、処罰対象となるのは、一定の外部的行為を行った場合のみとなります。このように、人の外部的に現れている行為だけを刑罰の処罰の対象とする原則を行為主義といいます。

今でこそ、このような原則がありますが、そもそも古代、中世の社会では人の世界と、死者の世界、動物の世界がはっきり分かれておらず、死者や動物を処罰の対象とすることもあったようです。ほかにも近代以前には、身体に異常を持つ者や障がいがあることが「つみ」とされていた時代や特定の思想、信条、信仰や悪い心を持っていることが罪とされる時代もありました。

しかし、近代社会では人間を中心とする社会ですので、法律の対象は生きている人だけになると同時に、すべての人は、人間としての尊厳が認められ、尊重されるとされています。そして内心にとどまる限りにおいて、どのようなことを考え、何を信じても、たとえそれが反社会的なことであろうと自由であり罰せられないとされています。これはあくまで、内心にとどまる限りですが、日本国憲法の思想良心の自由や信教の自由においてきちんと保障されています。

どうしてこのような保障がなされているのかというと、国家が個人の内心まで侵入してくることは、個人の尊重をするという近代社会の原則に反しているからです。そのため、「犯罪とされるのは外部に現れた行為に限られる」という行為主義の原則が生まれたのです。

刑法や刑罰に関する規定というのは、個人の生活利益の侵害や危険から保護するために用いられなければなりません。逆を言ってしまいますと、そのような危険がなければ処罰の対象とすることは許されないのです。たとえ内心にどれだけ凶悪な意思を持っていたとしても、それが内心にとどまっている限り個人の生活利益が脅かされることはなく、処罰対象とすることができないことになります。つまり、処罰されるのは、個人の生活利益の侵害や危険を引き起こすことのできる外部へ現れた行為がその対象となるわけです。