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  • 学派の争い・戦時刑事法思想 

古典派と近代派と別の思想

日本において、近代派と古典派による学派の争いが起きます。中心となるのは近代派では牧野、古典派では小野・瀧川でしたが、その後木村亀二、宮本英脩の2人が近代派の側へ加わります。近代派と古典派の争いの根底にあったのは、人間観、国家観、世界観などで2つの学派の対立は深刻でした。古典派の小野は牧野の門下にいたことも重なり、論争は一時期感情的対立にまで発展、そのため日本に影響を与えたドイツ以上に激しい争いとなりました。ちなみにこの影響は戦後まで続きます。

対立していた牧野と小野の2人の考え方ですが、国家主義的、権威主義的性格が強いという点では共通だったため、日本が戦時体制に入った時、いずれの立場における刑事法思想も戦時体制維持の役割をはたしました。

太平洋戦争下において、現れた刑事法思想が戦時刑事法思想と呼ばれる刑事法思想です。この思想は、国枠主義的、超国家主義的なもので、その中心にいたのが小野なのです。彼の記した作品には、刑罰は国民的道義秩序の維持形成するためのものであるとして、刑事法制を絶対主義天皇制の国家秩序、体制道徳を維持し強化するものになりました。そのため、戦後日本の敗戦により小野は戦争協力者として公職追放となり、東京帝大出の仕事を失うことになります。その後、占領体制が終わった後小野は、法務省特別顧問として迎え入れられ、刑法改正作業の中心となったのです。

注意すべき点は、小野の描いた戦時刑事法思想にもまったく自由主義的側面がなかったわけではないという点です。戦時体制下であっても、罪刑法定主義を維持することと、客観主義の犯罪理論について小野は維持し続けていました。同時に小野の刑事法思想だけが戦時刑事法思想を支えていたわけではなく、近代派の社会防衛論は絶対主義天皇制国家の防衛を正当化する理論となり、教育刑論も刑罰を皇民化教育の手段とした「戦時行刑」を支える理論として用いられたのです。